島移住。
特に子育て世代にとって、魅力的な響きだ。
今回は、伊豆大島へ移住をして一年半が経った、足立さん(33歳)一家に話を聞いた。
奥さんの実家が伊豆大島だった
東京で、映画専門チャンネルの仕事をほぼ毎日深夜までしていた足立さんは、仕事に何の不満もなかった。
小学生から映画館に通い詰めて育んだ映画愛は、専門チャンネルの職場でも重宝され、任された仕事は忙しくも充実感があった。
ひとつ気になっていたのは、4歳になった息子の子育て環境のことだった。
「子供の成長をもっと一緒に味わいたいという思いと、僕自身が仙台の自然の中で育ったので、都会で子どもが塾に通うような暮らしがどうしても想像がつかなくて」
職場で出会った奥さんの実家は、伊豆大島にあった。
伊豆大島は、東京からフェリーで約1時間40分。飛行機なら25分の距離にある、東京から120km南の洋上に浮かぶ伊豆諸島最大の島だ。
写真:東京から120km南の洋上に浮かぶ伊豆諸島最大の島・大島
人口は約7,000人。
子どもを連れて家族で遊びに行くたびに、島でお土産屋さんを営んでいた義理の祖母が温かく迎えてくれた。
広い畑でたくさんの種類の野菜を育てる、自給自足に近い生活。
海、山、遊び場所に困らない大自然。
ここなら、豊かに子育てしていく家族の姿がありありとイメージできた。「こんな場所で子育てしたい」という思いが募った。
写真:夏は休日になると遊ぶ。大島は海水浴場がいくつもあり、場所によって特徴が異なるのもまた楽しい。
移住と仕事
心配なのは仕事だった。
移住を決め、東京の会社に退職の意思を伝えたとき、まだ伊豆大島での仕事は決まってなかった。
それでも決断できたのは、事前に町が毎年実施している島暮らし体験ツアーを経験できたことも大きな要因だった。
「町の人や新規就農者支援研修センターの指導員を務めている島の現役農家の方にお話を聞き、繋がりもできて。移住した後にも仕事は何かは見つかるという気持ちになれました」
折しも、コロナ禍で世の中の移住意欲が高まっているタイミング。伊豆大島の島暮らし体験ツアーには、3人枠のところに20〜30人の応募があったという。
「そこに参加できて、島の方と知り合えたことは、移住を決めるうえで本当に大きかったですね。また移住後も、研修センターの方々には大島で家族が暮らしていくうえで色々なことを教えてもらいました。感謝してもしきれません」
島の求人の特徴
移住前に仕事が決められなかった理由の一つに、島の求人募集のすべてがWEBに掲載されるわけではない、という事情もある。
「移住前はホームページを毎日チェックしつつ、役場の人事担当の方に“移住を考えてるんですけど、採用の話があればお電話頂けませんか”とお願いしたりしていました。移住後も役場やスーパーに地域の求人が張り出されていないか見てみたり、妻の親戚や知人にそういう話がないか聞いたりしていました」
移住直後に縁あって就くことができた新規就農者支援研修センター管理人の職を経て、足立さんは現在、伊豆大島の商工会で地域と事業者のために仕事をしている。
「東京から飛行機で25分、フェリーで1時間40分の伊豆大島は、観光の島でもあります。コロナ禍でしばらくは観光客も少なかったのですが、最近はまた若い観光客の方をよく見かけるようになりました」と、充実感をにじませる。
“島で起業したい”という相談も多く、新たな飲食店も増えてきているという。
写真:大島の中央にそびえ立つ三原山でゴジラが復活するエピソードがあることから島にはゴジラ関連グッズも多い
映画館がなくても映画は楽しめる
現在の、足立さんの平日のライフスタイルはこんな感じだ。
まず朝は5時に起床、配信サービスで映画を1本観る。
「大島には映画館がありません。映画館がない環境で自分の人生が成り立つのかと思いましたが、今は配信がある時代なので。どうしても新作が観たいときは、東京にも静岡にも近い立地の良さがあるので、年に数回は映画館に行ってしまうんですけどね(笑)」
7時から家族で朝ごはんを食べる。
8時に家を出て、子どもを車で保育園に送り、8時半から勤務だ。
仕事は17時まで、残業はほとんどない。
「通勤も車移動ですが、島で渋滞を見たことがありません。信号もほとんど無くて快適です(笑)」
18時前には家に着き、家族揃って晩ごはんを食べ、その後は子どもと一緒にお風呂に入って、ゆっくり遊ぶ。
休日は息子と海で泳いだり魚を釣ったり、義理の祖母の畑を手伝ったり、ハイキングをしたり、大自然の中で過ごす。
写真:昨年オープンしたばかりの大島町メモリアル公園。雄大な三原山をバックに思いっきり遊べる、子どもに人気のスポットのひとつ。
移住と家計
食卓を彩る食材のほとんども、島で収穫されたものだ。
「僕の身近では、苗を買って自分で育てる自給自足のスタイルの人が多いですね。大島に限らずかもしれませんが、気候も良くて、土地もあるから、有機野菜などを自分で育ててみようという気持ちになるんですよね」
写真:スイカも豊作
島の方の紹介でつい最近購入した中古の一軒家の広い庭には、前の住人が丁寧に育てた果物が、次々と収穫の時期を迎える。
「こないだはブルーベリーがいっぱい採れて、今からはきんかん、みかん、正直、一年育ててみないと何ができるかわからないくらいです(笑)。畑でも野菜をたくさん育てているので、食卓の果物や野菜で困ることはないですね」
写真:義理の祖母の畑で収穫した夏野菜の数々。特に明日葉(画像左)は大島の特産品として有名
逆に、スーパーで冷凍食品などを買おうとすると、輸送費が乗るため、都心価格の1.5倍くらいするという。
「amazonが離島配送料0円なのはとてもありがたいです。島の食材とamazonを組み合わせて使っています」
家賃や食費などは都心生活の頃と比べ大幅に下がった一方、ガソリン代や光熱費など支出が増えたものもある。
「例えば、島に引っ越すときは必然的にコンテナ便と呼ばれる船での輸送になるので高くなりますし、都市ガスではないので光熱費も上がります。ガソリン代はこないだリッター205円でしたし(笑)」
それでも、家計の支出は2/3以下になり、生活するうえでの豊かさを実感している。
写真:食卓に並んだ“めっかり”も大島の特産品のひとつだ
移住してとまどったこと
移住して一年半、とまどったことは何だろうか。
少し考えた後、足立さんは「島の人たちの器用さを見て、自分の不器用さが浮き彫りになりました」と笑った。
器用さ?
どちらかといえば島の住人のほうが不器用で、都心から器用な若い世帯が来たのではないのか?
足立さんは首を振る。
「例えば、夏祭りか何かのイベントをやるとします。僕が東京でやってきた仕事の方法は、交通整備ならその仕事を外注し、しっかり指示・監督することでした。
でも、ここでは、例えば駐車場がなかったら、自分たちで草刈り機を操作して草刈りし、小学校からライン引きを借りてきて、すぐに駐車場を作ります。
虫に刺されたら、市販の薬よりも効く、マムシ酒というのが島では昔から家庭で重宝されていて、それを塗ると一発で治るんです。それをamazonで探しても無理だし、作り方をgoogle検索しても出てこない(笑)。
自分たちで、しかも自慢げな素振りも一切なく、なんでもできる。器用だなあ、僕は何をしてきたんだろうと思うんです」
他に頼るものがなかった、島の自給自足の歴史が培ってきたものだろう。
島で暮らす人たちがたくましく見えるのは、その“生きる知恵”が、深く身体化されているからかもしれない。
移住して一番嬉しかったこと
移住して一番嬉しかったことは何か尋ねると、しみじみと「子どもの変化です」と言った。
「島の人たちは、子どもは宝だと思ってくれるので、息子も東京で生活しているときより、ずっとのびのびと暮らしています。島では僕よりも全然顔が広いです(笑)」
写真:美しい伊豆大島の自然を背景に
足立さんは、息子が保育園で言ったあるひと言が強く印象に残っている。
「また来てね」
伊豆大島には、東京から転勤で来ている会社員、公務員の家庭も多い。2、3年経つと東京に戻る友だちを見送る場面も多いという。
それを悲しい、寂しいと嘆くことなく「また来てね」と、息子は明るく言った。
「ああ、そう言える子になったんだ。島の子どもになったな」
足立さんは胸が少し熱くなった。そして、自分も見習わなくてはと思った。
出会いと別れの作法もまた、島の知恵の一つなのだ。
島移住を考える人へ
最後に、島移住を考える人に何かアドバイスを、とお願いした。
「僕は妻の実家が伊豆大島だったというケースなので、ゼロからの島移住とは違うと思うんですが」と前置きしたうえで、こう言う。
「移住の目的はシンプルにしたほうが良いのかもしれません。僕らの場合は、やっぱり、子どもが楽しいか、幸せそうかということだったので、とても満足しています。もちろん大変なこともたくさんありますが、それはどこで暮らしてもあるものなので(笑)」
自分たちが島でこういう生き方をしたい、が先にあった。
逆に言えば、島という土地が自分を変えてくれるかもしれない、という期待値だけでは失敗するのかもしれない。
とはいえ、子どもはすぐに大きくなる。
自身は今後、島でどんな風に生きていきたいか、と聞いた。
「ありきたりですけど、毎日を大切に生きていきたいです。この美しい大自然を、当たり前に思う人間にならないように」
映画とは、美しいものを見つける目であり、そこに胸が震える感受性のことだ。
映画館はなくても、映画のように美しい島の暮らしがそこにあった。
写真:伊豆大島の人気スポットのひとつ、サンセットパームライン
(おわり)
取材・文:槌谷昭人